教会報 空の鳥2025年11月No.456
聖書週間(11/16~11/23)
聖書により強く関心を持ち親しみ、神の心に生きるようになるための週間です
11月は「死者の月」
「あなた方は、しばしの間、現れて、たちまち消え行く、霧にすぎない」(ヤコブ4・14)
大分教区聖年の集い
日時 11月3日(月)10:00~15:30
場所 延岡総合文化センター
テーマ ともに歩む教会を目指して ~希望の巡礼者となって~
講師 田口孝志神父
日程 10:00開会・基調講演 12:00昼食 13:00発表 14:30ミサ 15:30閉会
(子どもたちのプログラムも用意しています)
貧しい人のための世界祈願日 11/16(日)
2016年教皇フランシスコが定めました。ご自分を小さい者や貧しい者と等しい者と見なされたキリストに倣い、わたしたちも、貧しい人、弱い立場にある人に寄り添い、奉仕するよう求められています。
不平等や不正義のない世界の実現に向けて、具体的な業を通して神の慈しみの証し人となれるよう、祈り求めていかなければなりません。
南宮崎教会 聖年の巡礼(大分巡礼)
日時 11月24日(月)7:30~18:50
Aコース 竹田キリシタン資料館
野津ルルド - 竹田キリシタン資料館 ー キリシタン洞窟礼拝堂
Bコース 大分教会・別府教会
野津ルルド - キリシタン殉教記念公園 - 大分教会 - 別府教会
車で移動します。参加希望者はWさんまで。締め切りは11月9日です。
(25年に1度の「聖年」に敬虔に巡礼地を訪れ、聖体礼拝、主の祈り、信仰宣言、マリアへの祈願を唱えると聖年の免償を受ける事ができます。)
(大分教区の巡礼指定地は大分教会、別府教会、宮崎教会、野津のルルド)5月11日には宮崎教会巡礼をしました。
11月の行事予定
11月1日(土) 諸聖人(19:00) 聖堂清掃(9:00~)
11月2日(日) 死者の日 合同慰霊祭 (ミサ後)エマオ短歌会
11月3日(月) 大分教区聖年の集い(延岡) 大分教区司教座教会献堂記念日
11月9日(日) ラテラノ教会の献堂(祝)
11月16日(日) 貧しい人のための世界祈願日 司牧評議会
11月16日(日)~11月23日 聖書週間
11月19日(水) パジニ神父様誕生日
11月23日(日) 王であるキリスト 世界青年の日 宮崎おとなの教会学校(日南)
11月24日(月) 聖年の巡礼(大分巡礼)
11月29日(土) アドヴエントろうそく準備
11月30日(日) 屋内外清掃・窓拭き 一斉片付け 待降節第1主日 クリスマス飾り付け
12月3日(水) 日本宣教の保護者聖フランシスコ・ザビエル
12月7日(日) 宣教地召命促進の日 待降節第2主日
お知らせとお願い
◎11月23日(日)「宮崎おとなの教会学校」(日南教会)で予定していますが、講義の前に山下神父様を囲んで昼食会をします。ご希望の方はMさんまで申し込んで下さい。会費は2000円です。
◎11月30日(日)に「クリスマスの飾りつけ」をしますが、飾りが足りなくなりました。家に何かあれば持ってきてください。お願いします。
◎朗読奉仕者は前の席にステッカーを貼りますのでお座り下さい。尚、都合の悪い時は責任を持って代わって下さい。
◎10月12日(日)「大分教区召命の日」にK.Iさん(井下神父様の甥)がメッセンジャーとして車で3時間掛けて大分から来て下さいました。
◎10月19日(日)ザベリオ宣教会のフェルナンド総長様(イタリア)と顧問のスダーナント神父様(インドネシア)がミサの共同司式をして下さいました。
◎ルイジーナシスターは休暇で故郷イタリアに帰国中です。12月までの予定です。
◎N.Kさんが長年「切手」の担当をして下さっています。イエスのカリタス友の会事務局へ送り、換金後、主にシスターの働いている海外の子ども達の養育、教育、施設管理維持などに使われます。古切手は周囲5ミリ~1センチに切って下さい。未使用切手の寄付もお願いします。
恩送り
アグネス E.T
「恩送り」という言葉があります。「恩返し」は誰からか良くしててもらったら、相手に良くしてあげという事、「恩送り」は誰かから良くしてもらったら、他の人にも同じように良くしてあげるという事です。
夫が病を得て、車を手放し不便を感じていた数年前の事です。突然、ガスコンロが故障した。たちまち食事作りに支障をきたし、1日でも早く新しいのが欲しかった。近くの店に行き自転車で運ぶことにした。ところが、思いの外、大きく、どうしたものかと思案していた。「おばちゃん、運んであげるよ」と知らない若い女性が声を掛け、家まで運んで下さった。
「有難うございます。お名前は?」というと「私はいいです。今後、困っている人がいたら助けて上げて下さい」と言い、立ち去られた。わが娘のような方に思い出させていただいた言葉である。
手元を離れた子や孫もどなたかに助けて頂いていることを思い、直接できないことを身近な方方に親切にしたいと、いつも思っている。