すべてのいのちを守るための月間(9/1〜10/4)
教皇フランシスコは2019年に「すべてのいのちを守るため」をテーマとして来日し、多くのメッセージを残してくださいました。これに応えて実際的な行動を呼びかける為に制定されたのがこの月間です。9/1(正教会における「被造物の保護を祈る日」から10/4(アシジの聖フランシスコの記念日)という期間はもとは2007年の第3回ヨーロッパエキュメニカル会議が「被造物のための期間」として提唱し、世界教会会議に支持され、教皇が同調されました。全ての人が手を取り合わなければ、すべての命は守れません。ですから、エキュメニカルな視点も諸宗教との協力も、ともに不可欠なのです。
被造物を大切にする世界祈願日(9/4)
回勅「ラウダート・シ-ともに暮らす家を大切に」(2015年)で、全世界の人に向けて、エコロジー(自然保護)に取り組むよう訴えた教皇フランシスコは、東方正教会に倣って、環境保護のための助けを願う日をカトリック教会の暦に加えました。地球規模の環境悪化が進む中、自然を破壊することなく、「わたしたちの家」である地球を大切にし、調和のうちに発展していく事が出来るよう、この日、全世界のカトリック教会で祈りが捧げられます。
十字架称賛(9/14)
エルサレムでは5世紀から十字架を礼拝する習慣があり、東方教会に広まり、7世紀にローマに取り入れられました。キリスト者の救いと勝利の希望であるキリストの十字架を思い起こす祝日です。
世界難民移住移動者の日(献金)(9/25)
1970年に聖パウロ六世教皇が教皇庁移住・観光者司牧委員会(現在の移住・移動者司牧評議会)を設立した事を受け「各小教区とカトリック施設が、国籍を超えた神の国を求めて、真の信仰共同体を築き、全世界の人々と「ともに生きる」決意を新たにする日」として設立されました。「世界難民移住移動者の日」には、おもに滞日・在日外国人、海外からの移住労働者、定住・条約難民、外国人船員や国際交通機関の乗組員とその家族のために「祈り・司牧的協力・献金」が捧げられ、それらは日本カトリック難民移住移動者委員会を通じて、幅広く支援に役立てられています。
* * * * *
9/19は「敬老の日」
老人たちの話を聞き逃すな。
彼らもその先祖たちから学んだのだ。
そうすれば、そこから知識を学び、必要な時に答えることが出来る
(シラ書8章9)
■9月の行事予定■
9/1(木)〜10/4(火)すべてのいのちを守るための月間
9/2(金)マルコ神父様誕生日
9/4(日)被造物を大切にする世界祈願日
9/5(月)ぶどうの木(9:00〜12:00)
9/11(日)子どもミッション
9/14(水)十字架称賛
9/18(日)司牧評議会 敬老の日(病者の塗油)
9/19(月)ぶどうの木(9:00〜12:00)
9/24(土)ワックス掛け 屋外清掃(9:00) 「第3回祈りの集い」17:00〜(カリタスの園聖堂)
9/25(日)世界難民移住移動者の日(献金)
■お知らせとお願い■
・9/18(日)は「敬老の日」のお祝いです。コロナ禍のため今年も祝賀会はできませんが、「病者の塗油」の秘跡をいただけます。
・9/24(土)はワックス掛け、屋外清掃奉仕日です。9時から始めます。沢山の方のご協力をお願いします。
・「ぶどうの木」への献金のご協力ありがとうございます。おかげさまで講師をお呼びすることが出来喜んでいます。今後もよろしくお願いします。
・7/30(土)に予定していました「少年・少女の集い」は諸事情で中止になりました。
・8/7(日)は宮崎教会で宮崎地区「平和の集い」が行われました。講師の森山新司教様の「平和」についての考え方や取り組みなどの講話がありました。手違いで連絡が遅くなり皆様に周知されませんでした。
・「第3回祈りの集い」は9/18(日)までに申し込んでください。
・10/10(月・祝)に「宮崎県カトリック信徒の集い」が森山司教様をお迎えして行われます。パンフをご覧の上9/18までに申込書に記名をお願いします。2年連続で「男性の集い」「女性の集い」が中止になり、この集いを行う事になりました。
■コラム■川野シスターのブラジル体験記(思い出のおすそ分け)
マリア・マグダレナ 川野恩美 (11)
聖週間の典礼も見事です。受難の主日には、教会から少し離れた公園や、教会の庭に集まり、みんなしゅろの葉を手に持って周辺を行列してから教会に入ります。
聖金曜日には、教会の周りの信徒の家の前を各留にして、道を歩きながら、十字架の道行きが行われます。
ある教会では、教会の広い庭を使って受難の聖劇が行われました。
ブラジリアに滞在していた時、近くの町では、本当に丘の上に街の風景を作り、壮大な受難劇が行われました。
学校も仕事も聖なる3日間は休みですから、遠くからそれを見に多くの人たちが集まります。やはり、カトリックの国はスケールが違います。
でも、そんな素晴らしい環境にあっても、それが当たりまえになってくるとその恵みに気づかなくなっていくのです。 (続く)